借地, 底地

底地・借地の歴史



地主と借地人どちらが強い?

底地や借地を所有していて、
なぜこんなに面倒な制度があるんだろうと思ったことはありませんか?

そして、底地権が強いのか、借地権が強いのか人によっても見解が異なります。
なぜ現在のような複雑かつ曖昧な権利関係になっているのか
歴史を紐解きながら、借地と底地のどちらが保護されるか見ていきましょう!

1.借地権の誕生以前の土地所有の歴史

現在の借地上に家を建てるような習慣が生まれたのは江戸以降で、
それ以前は貴族や寺社、大名などが土地を所有し、人々は田んぼを借りて年貢を納めるという関係でした。

現代で言う地主さんのような人達が出てきたのが戦国時代位で、地主は農地を小作人に賃借したりしていました。

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1-1.大化の改新(飛鳥時代)前後の土地概念

大化の改新以前は、天皇や豪族らは各自で私的に土地・人民を所有・支配していました。
しかし、改新の詔によって、土地を私的所有することは禁止され、公地公民制といって全ての土地は天皇が所有・支配する体制が確立されました

そして、班田収授法によって、朝廷が人民に田んぼを貸与し、
人民は納税を義務づけられるようになりました

1-2.奈良~平安時代の土地概念

奈良時代の中期には、墾田永年私財法が誕生し、自分で新しく開墾した耕地の私財化を認められるようになりました
しかし、結局資金を有する豪族や貴族、寺社が隆盛します。
そして、平安時代になると藤原氏を中心とした貴族が荘園制度を確立しました。
この荘園の管理人として台頭したのが武士です

1-3.鎌倉~戦国時代の土地概念

鎌倉幕府になると、全国に守護や地頭が置かれ荘園の経営を行うようになりました。
そして室町時代になると、守護は守護大名となり、農民は領地の支配者である守護大名に年貢をおさめるようになりました。

しかし、応仁の乱以降戦国時代に突入し、大名同士の争いにより支配者も代わるようになります。
このころ地主と小作人の関係も出来たといわれています

そして、豊臣秀吉の太閤検地により、全国的な測量が行われ、田畑の所有者が納税義務者とされました。
そしてこの時地主と小作人という関係が再度否定され、小作人が土地を所有できるようになったと同時に、自らが農地の所有、耕作し、年貢を領主に納めなければならなくなりました。

2.借地権の誕生前夜

江戸時代になると、農地は「田畑永代売買禁止令」によって、売買が禁止されるようになりましたが、農地以外は武家地、町人地、寺社地に所有権が認められており、特に町人地では活発に土地の売買が行われていました。
庶民は借地借家生活をしており、「沽券」という現在の登記識別情報のようなものがありました。
また、土地を担保などとしても利用されていました。

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3.借地権の誕生

3-1.明治期の借地権事情

大政奉還後、版籍奉還によって大名支配の土地が新政府へ移管されました。
その後、田畑売買禁止令が解かれ、現在の登記制度の原型となる地券が発行されるようになりました。

江戸までは農地の面積に応じて領主に年貢を納めていましたが、明治になると1875年(明治8年)の地租改正により、土地の売買が自由に出来るようになり、土地所有者に納税義務が生じる今の流れになります。

西洋化によって産業が発展し、都市に人口が流入したため土地の価格は上昇しました。
しかし、納税額が土地の金額の3%と高額だったため、所有権を売却して借地や借家に住む人が増えました。

3-2.明治期の借地人と地主の関係

1896年(明治29年)に民法が定められましたが、土地の所有権は絶対で所有者が変われば借地人を簡単に追い出すことが出来ました。
このため、「地震売買」といって地震のように建物を強引に建て壊し立ち退きを迫るようなトラブルが増えました。

そこで出来たのが1909年(明治42年)の建物保護に関する法律です。
これによって建物の登記さえすれば借地権を第三者に主張する事が出来るようになりましたが、これでもまだ建物が滅失してしまえば、第三者に借地権を主張できないという問題がありました。

3-3.大正期の借地法と借家法の成立

日本は欧米諸国と肩を並べるようになり、1921年(大正10年)に借地に関する初めての法律「借地法」「借家法」が成立しました。
この時に借地権が「建物所有を目的とする地上権や賃借権」と定義されたり、建物の構造により存続期間が20年、30年以上と決められたり、建物再築や借地権更新の際に地主の承諾が必要であることなど、現在の借地借家法の基礎が出来ました。
これによって借地人の立場が保護されるようになりました。

1923年(大正12年)に借地権が急増する事件が起きました。それは「関東大震災」です。
この時に、家を失った人々の為に、バラックを借地権と認める「借地借家臨時処理法」というものが制定され、特に関東では借地が急増しました。

3-4.昭和期の更なる借地人の保護

昭和になると日中戦争開戦により、都市部に人口が流入し、生活必需品だけでなく、地代や家賃も高騰しました。

しかし、地代や家賃が高騰すると人々の生活が成り立たなくなるため、「地代家賃統制令」が出来て、これらに上限が設けられるようになりました。

更に1941年(昭和16年)には兵士の戦後の暮らしを保護するために、1941年に借地法・借家法が改正され、借地の契約の更新を拒否したりすることができなくなりました。

また、1966年には「借地非訟」の手続きが制度化されました。

借地非訟
借地人が借地権の譲渡や、建物再築の際に地主が承諾しない場合に、地主の承諾に代わって借地人は裁判所に申し立てることができる制度の事です。
この制度によって、借地人は地主が第三者への譲渡や建物の再建築を拒絶した場合でも、裁判所の許可により正式に借地権を存続できることになりました。

3-5.平成期の借地人、地主の関係が平等に

平成になると借地人保護だった関係も見直され、1992年(平成4年)に借地借家法が制定されました。
これにより「借地法」「借家法」「建物保護に関する法律」が廃止されました。
新法と言われる借地借家法は借地人と地主が平等な関係となり、借地権の存続期間を2回目以降に10年としたり、正当事由の明確化がされることになりました。

また、借地借家法では、新たに期間の定めによって契約期間が必ず終了する「定期借地権」が創設されました。

なお、新法施行前に締結された借地契約については、更新が続く限り半永久的に旧法が適用されることになっています。

4.地主と借地人はどちらが強いか

新法が適用される前に締結された借地契約については、関東大震災や戦争などの時代背景により、一度貸したら返ってこないという位、借地権が保護されていました。

しかし、新法の成立により地主と借地人は対等な関係になりましたが、現在の借地権の多くは旧法の時の借地が多く、まだまだ借地人が保護される立場であることに変わりはありません。

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4-1.地主や借地人との関係で悩んだら

地主と借地人の利益はどうしても相反するので、まだまだトラブルでお悩みの方も多くいらっしゃると思います。

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